2015年御翼11月号その2

家康の墓がある南宗寺(大阪府堺市)

 大阪府堺市にある南宗寺(なんしゅうじ)は、千利休が茶の湯の修行をした寺である。それゆえ、茶道は仏教や禅の影響を受けていると言われる。ところが、南宗寺には、古田織部(キリシタン大名)の作と伝わる枯山水があり、キリシタン燈籠がある。その他にも、マリア観音や十字の掘られた灯篭があり、ここも、カトリックのお御堂(おみどう)だったところを寺にしたのであろう。
 また南宗寺には、「徳川家康の墓」がある。家康の死因は、一般には「鯛の天ぷらによる食中毒」あるいは、「今なら胃がんと診察される病」とされ、日光東照宮にその墓がある。しかし、豊臣家を滅亡に追い込んだ大阪夏の陣で、家康は敵から逃げる際に乗っていた駕籠(かご)ごと槍に疲れて重傷を負い、南宗寺に運ばれて絶命し、そこに一時埋葬されたという言い伝えがあるのだ。また、二代目、三代目将軍(秀忠、家光)が相次いで南宗寺を参拝している記録があり、重要文化財に指定されている唐門の瓦には、徳川家の紋章がある。徳川家康の死に方は「剣をとる者は剣で滅びる」というキリストの教えが真理であると教えている。「神による報復の日」はあるのだ。
 一方、キリシタンであったゆえ、豊臣秀吉により切腹させられた千利休(セントルーク)の立派な記念館が今年3月堺市にオープンした。利休が完成させた「侘び茶」には、キリストの福音の真理が表されている。(フランシスコ・ザビエルが日本に来た時、伝道の手段として宣教師たちに茶道を勧めた。そして、宣教師らに茶道を教えたのが千利休(1522〜1591)だった。)

茶道の精神を五つのキーワードでまとめると
 一.  おもてなしの心
 自分を下げ、客には思いつく限りの丁寧さで対応します。 ただ、茶道では客も亭主(客を招く側の人)も常に対等の立場にあります。亭主が出したお茶に対して、客はありがたく飲み、お茶の入った器を乱雑に扱ったり、自分の要望を突き付けたりしてはいけません。
 フィリピ2・3〜4「(3)へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、(4)めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」
 二. 侘び寂び(わびさび)
 侘び寂びは言ってしまえば「地味」です。地味を愛する性格を究極まで突き詰めたものが茶道と言っても過言ではないでしょう。今在ることに感謝し、必要でないものを全て削ぎ落とした完璧なまでのシンプルさ。虚飾を全て捨て去って残る清らかな美しさ、それが侘び寂びなのです。
 テサロニケ第一5・18「どんなことにも感謝しなさい。」
 三. 不完全美への傾倒
 花が散りゆくときや月が欠けゆくときの儚さや切なさ、そういった感情も素敵なものです。茶道の世界では特にそれが如実に物語られています。例えば使用される道具は地味なものも多いです。
 コリント第二12・9「力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」
 四.  一期一会(いちごいちえ)
 一度きりの出会いを、感謝と感動の念をもって大切にしなさいということです。同じ客で同じ道具で茶会を開いたとしても、交わした言葉、思った気持ち、垣間見た笑顔、それら全てを尊く愛しく思うのです。
 マタイ 25・40 「そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』」
 五.  和敬清寂(わけいせいじゃく)
 前の二文字は茶事における主客相互の心得、後の二文字は茶庭、茶室、茶器に関する心得。
 和・・・和合、調和の意。互いに楽しもうという心。
 敬・・・他を敬愛する心。
 清・・・清潔、清廉の義。まわりも自らも清らかでありなさいという教え。
 寂・・・寂静、閑寂の意。要らないものを捨て去ることで生まれる。

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